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【高知】坂本龍馬の足跡を辿る ― 聖地巡礼と司馬史観を超えて

桂浜の坂本龍馬像の足元に立つsa-tan 国内旅行
イラスト: 本誌(AI生成)
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sa-tanよ。今回から新シリーズ「sa-tanの歴史散策」を始めるわ。旅のしおりが「今の場所を楽しむ旅」だとすれば、こっちは「時間を遡る旅」。歴史と地理が交わるポイントを、一人で歩きながら深掘りしていく企画よ。

第1弾は坂本龍馬。高知編の定番中の定番、でも同時に「みんながよく知ってるようで、実はよく知らない人」でもある。

この記事では、龍馬の生誕地から桂浜の銅像、そして脱藩した先の山道まで、龍馬の足跡を順に辿っていく。最後にひとつ、ちょっと踏み込んだ話もする。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』が作り上げた英雄像と、近年の歴史学の評価の乖離について。観光の妨げになる話ではなく、むしろ知って現地を歩くと味わいが何倍にもなると思ってる。

※ 画像はすべてイメージです。

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1. 上町(かみまち)— 龍馬が生まれた商家の街

上町の龍馬生誕地碑の前に立つsa-tan(イメージ)

高知市の中心部から路面電車で数駅、上町(かみまち)エリアに「坂本龍馬誕生地の碑」が立っている。住宅街の中にポツンとある石碑だけど、ここが全ての始まりの場所。

意外と知られていないのが、坂本家は元々「才谷屋(さいたにや)」という高知の豪商の分家だったこと。つまり龍馬は商家出身の武士なのよ。坂本家の祖先は才谷屋から分かれるとき、財力を元手に「郷士株」を買って武士の身分を得た。経済的には裕福で、幼少期の龍馬はお金に困った様子がない。

「下級武士だから貧しかった」と思われがちだけど、実はそうじゃない。才谷屋本家の建物跡も上町の近くにあり、セットで歩くと「龍馬がどういう経済的・社会的ポジションから幕末に飛び出したのか」が見えてくる。

📍 基本情報

  • 住所:高知県高知市上町1丁目
  • 料金:無料
  • アクセス:路面電車「上町1丁目」電停すぐ
  • あわせて:徒歩圏に「龍馬の生まれたまち記念館」あり

2. 龍馬の生まれたまち記念館 — 幼少期を知る

誕生地の碑から徒歩数分のところに「高知市立 龍馬の生まれたまち記念館」がある。2004年開館の、比較的新しい小ぶりの記念館。

ここの推しポイントは「英雄になる前の龍馬」に焦点を当てているところ。観光向けの派手な展示じゃなくて、幼い龍馬が歩いた上町の街並みのジオラマ、少年時代の逸話、坂本家の家族構成、当時の生活風景などが落ち着いた空間で展示されている。

「泣き虫だった幼少期の龍馬を、姉の乙女(おとめ)が剣術で鍛え上げた」という有名なエピソードも、実際に姉弟の身長差(乙女は当時の女性としては非常に大柄だったと伝わる)とともに展示されていて、伝説と事実の境界を楽しめる作りになっている。

一人で静かに歩ける規模感で、龍馬巡礼の「心構え」をするのに最適な場所。次の高知城や桂浜に行く前に、ここで予備知識を仕込んでおくと解像度が上がる。

📍 基本情報

  • 住所:高知県高知市上町2-6-33
  • 入館料:大人 300円、高校生以下無料
  • 営業時間:8:00〜19:00(最終入館18:30)
  • アクセス:路面電車「上町1丁目」電停から徒歩2分

3. 高知城 — 上士と下士、龍馬の反骨心の原点

高知城を見上げるsa-tan、武家屋敷の道にて(イメージ)

ここからが本題よ。高知城の天守も本丸御殿も美しいけれど、龍馬巡礼の視点から見るとき、この城は「土佐藩の二重身分制の象徴」として意味を持つ。

時は1600年、関ヶ原の戦い。この戦で長宗我部盛親は西軍に付き、敗北。徳川家康は土佐国を山内一豊に与えた。問題はここから始まる。山内家は自分の家臣団を連れて土佐に入国し、彼らを「上士」として上位に据えた。そして、元々土佐にいた長宗我部の旧家臣たちを「下士」として下位に置いた。これが200年以上続く土佐独特の身分制度よ。

上士と下士の差別は全国的に見ても極端に厳しかったと言われる。下士は日傘をさせない、絹の着物を着られない、上士に対しては無礼討ちを許された。坂本家は下士の中でも比較的恵まれた郷士層だったけど、それでも「上士の次男坊にすら頭を下げる」立場だった。

龍馬が脱藩を決意した背景には、この二重身分制への諦めがあった。彼にとって土佐は、生まれ故郷であると同時に、飛び出すべき閉塞空間だったのよ。高知城を仰ぎ見るとき、単に「きれいな城だな」で終わらせず、この城が君臨していた身分制の重さを想像してみると、龍馬の人生が立体的に見えてくる。

📍 基本情報

  • 住所:高知県高知市丸ノ内1-2-1
  • 入場料:18歳以上 500円、高校生以下無料
  • 営業時間:9:00〜17:00(最終入館16:30)
  • アクセス:路面電車「高知城前」から徒歩5分
  • 特記:本丸御殿が現存する日本唯一の城

4. 桂浜の龍馬像と坂本龍馬記念館 — 1928年、青年たちが建てた像

桂浜の坂本龍馬像を仰ぎ見る構図(イメージ)

桂浜に立つ坂本龍馬像。台座込みの高さ13.5m、像本体だけでも5.3m。太平洋を見据える姿は、もはや高知そのものを象徴するアイコンになっている。

でも、この像には知られざる建立秘話がある。建立は1928年(昭和3年)。発起人は入交好保という青年で、全国の青年有志およそ10万人から一人20銭ずつの寄付を募って建てた。現代の物価に直しても決して大金ではなく、「青年たちが小銭を出し合って自分たちの英雄を建てた」という逸話そのものが熱い。

重要なのは、この像が明治政府や高知県庁が主導した公式の建立ではなかったこと。草の根の青年運動が作り上げた民衆の英雄像—これが桂浜の龍馬像の本質。だから像の視線の先は、東京の方角でも土佐藩主の方角でもなく、「太平洋の向こうの世界」を向いているの。

高知県立坂本龍馬記念館のガラスデッキから太平洋を望むsa-tan(イメージ)

像のすぐ近く、桂浜の断崖の上に建つ高知県立坂本龍馬記念館もセットで訪れたい。ガラス張りのモダンな建物で、展示室の窓からそのまま太平洋が見える構造になっている。龍馬の書簡のレプリカや人物相関図、近江屋事件の資料など、本格的な展示が揃う。龍馬を「歴史学の対象」として見る入り口として、ここの存在は大きい。

📍 基本情報(龍馬像・記念館)

  • 住所:高知県高知市浦戸桂浜
  • 龍馬像:無料(春秋の期間限定で横の展望台 200円)
  • 記念館:通常展示 400円、企画展開催時 720円、高校生以下無料
  • 記念館営業:9:00〜17:00(最終入館16:30)
  • アクセス:高知駅からMY遊バスで約40分

5. 梼原と脱藩の道 — 土佐を捨てた先の山道

梼原の隈研吾建築と脱藩ルートの山道(イメージ)

最後の聖地は、高知市からぐっと西に進んだ山間部の梼原町(ゆすはらちょう)。ここは龍馬が脱藩の際に通った町で、しかも現代は隈研吾建築群で知られるようになった不思議な場所よ。

1862年(文久2年)3月24日、龍馬は沢村惣之丞とともに高知を出発。梼原に一泊し、地元の郷士・那須俊平・信吾父子の案内で韮ヶ峠(にらがとうげ)を越えて伊予(愛媛)に抜けた。そこから長浜→船で山口へ。この山越えルートが、現代では「龍馬脱藩の道」として観光ルート整備されている。

ここで少し立ち止まって考えてほしいんだけど、脱藩は当時の武士にとって死罪に値する重罪だった。つまり龍馬は「土佐を捨てて出て行った人」なのよ。にもかかわらず、現代の高知県は龍馬を県の英雄として神格化している。これは冷静に考えると非常にねじれた構図よね。

このねじれを感じながら、韮ヶ峠に立って愛媛側を見下ろすと、何とも言えない気持ちになる。地理的には、このすぐ先が「旅のしおり 愛媛編」で紹介した大洲方面。四国を地図で見ると、龍馬の脱藩ルートは「土佐→梼原→韮ヶ峠→伊予(愛媛)」と繋がっていて、二つの記事が地理的に繋がるのが面白い。

そしてもうひとつ、梼原町の現代の顔が隈研吾建築群。町役場、図書館(雲の上の図書館)、マルシェ・ユスハラ、ホテルなど、建築家・隈研吾が梼原町のために設計した建物が点在している。木材をふんだんに使った木造モダン建築で、山間の小さな町が現代建築のメッカになっているのは、ちょっとした奇跡。龍馬の脱藩ルートと隈研吾建築を一日で巡るのが梼原訪問のおすすめコース。

📍 基本情報

  • 住所:高知県高岡郡梼原町
  • アクセス:高知市から車で約1時間40分(レンタカー推奨)
  • 所要時間:脱藩の道+隈研吾建築巡りで半日〜一日
  • 雲の上の図書館:入館無料(休館日注意)
  • 特記:韮ヶ峠から先は愛媛県。大洲・内子方面へ抜けられる

コラム:司馬遼太郎が作った龍馬像、そして歴史学の評価

📖 知っておくと現地巡りが深くなる話

現代の日本人が思い浮かべる坂本龍馬像——「身分にとらわれず自由に生き、薩長同盟を実現し、大政奉還を主導した幕末のヒーロー」——これを決定づけたのは、実は司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』(産経新聞で1962〜1966年に連載)なの。

戦前も龍馬の知名度はゼロじゃなかった。1928年に桂浜の像が建立されたように、一定の英雄視はあった。でも、全国の日本人が知る「国民的英雄・龍馬」のイメージを決定版として完成させたのは司馬だった。高度成長期の日本人が求めていた「自由奔放なヒーロー」像にぴったりハマった、とも言える。

一方、近年の歴史学では龍馬の個別の功績が相対化されつつある。薩長同盟の締結における龍馬の役割は補助的だった可能性、大政奉還の建白書(いわゆる船中八策)が龍馬自身の発案だった確証は弱い、など。2010年代には高校日本史教科書で龍馬の扱いが縮小される動きもあり、「教科書から消える龍馬」として話題になったのを覚えている人もいるかもしれない。

ただしこれは「龍馬は実は無能だった」という話ではない。彼が何をしたかという個別の功績は相対化されつつも、「幕藩体制を超える構想力を持っていた人物」としての評価は残っている。つまり「小説が盛りすぎた部分」と「本当に歴史に刻まれた部分」を分けて見られるようになってきた、ということ。

現地を歩くとき、私はこう思うの。司馬が作った龍馬像も、歴史学が相対化する龍馬像も、どっちも「本物」の一面。桂浜の像を建てた青年たちの情熱、『竜馬がゆく』に涙した戦後日本人の感情、そして史料を丹念に読み解く現代の歴史学者の冷静な視線、すべてが重なって現代の「龍馬」という存在ができている。ひとつの視点に囚われず、重層的に眺めるのが歴史散策の醍醐味よ。

sa-tanの歴史散策メモ:龍馬聖地の回り方

🗒 龍馬巡礼プランメモ

  • 1日目は高知市内完結が効率的。路面電車で「上町(誕生地+記念館)→高知城→桂浜(像+記念館)」の順に回れば一日で主要スポットを制覇できる
  • 2日目に梼原へ。レンタカー必須。午前中に梼原入りし、午後は隈研吾建築巡り+脱藩の道。韮ヶ峠まで行くなら時間に余裕を持って
  • 愛媛編との接続プラン。梼原から韮ヶ峠を越えて愛媛の大洲・内子へ抜けると、ちょうど「旅のしおり 愛媛編」で紹介した大洲城・町並み巡りに繋がる。四国横断の2泊3日コースとして組み立てるのが最高
  • 『竜馬がゆく』を持って行く。文庫版全8巻。全部は重いので、上町セクションに対応する1〜2巻だけでも持参すると現地での感動が段違い
  • 龍馬記念館の企画展は事前チェック。企画展開催時は入館料が上がるけど、その分展示が濃い。公式サイトで開催情報を確認してから行こう
  • 梼原の宿は早めに予約。隈研吾設計の「マルシェ・ユスハラ」の上階がホテルになっている。人気なので要予約

龍馬巡礼って、ただ像の前で写真を撮って終わるにはもったいない旅よ。身分制の重さ、脱藩という決断、銅像建立の情熱、小説が作り上げた英雄像、そして歴史学の冷静な再評価——これらを層として重ねて歩くと、高知という土地の厚みがぐっと増してくる。

次回の「sa-tanの歴史散策」は、まだ決めてない。候補は新選組ゆかりの京都、あるいは西郷隆盛の鹿児島あたり。リクエストがあればコメントで教えてほしい

四国シリーズの別記事「【高知】一人旅で巡りたい穴場&名所5選」と合わせて読むと、高知の魅力がより立体的に見えるはず。そちらもぜひ。

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